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第982回 中国考古学の軌跡とその成果-その2-

(2021年8月12日)

 5000年ほど前の良渚遺跡は約1000平方kmに及ぶことから、その支配地域の人口は100万を超え、村落の数も1万を超えるほどだったと考えられ、稲作に支えられたその高い文化は、良渚文化晩期、即ち4500年前頃から、仰韶文化が栄えていた黄河流域にも大きな影響を与え、山西省陶寺遺跡などにもみられる大規模な築城や良渚式玉器の出現につながり、竜山文化などを通して、二里頭文化(晩期夏文化)へと受け継がれていきました。       
 陶寺遺跡と並んで注目されたのが陝西省の石峁遺跡で、その発見は中国古代史の常識を覆すものでした。同遺跡の内容は陶寺遺跡に勝るとも劣らず、晩期には竜山文化期から二里頭文化とも重なり、二里頭文化を以って古代中国唯一の中心と位置付ける見方に疑義をさしはさみました。その二里頭文化が発見されたのは1959年のことで、2019年には発見60周年を記念して同遺跡博物館が開館しました。60年の発掘を経て。二里頭は大型の宮殿建築群と縦横に配せられた主要道路を含む大型都市であることが明らかになり、その出土物の年代測定と文化的な連続性から、二里頭の第一期~第4期、更には二里崗の下層部分が夏王朝に当たるとされましたが(紀元前1750~1500年頃)、それが広義の夏文化の夏王朝文化の中心なのか、狭義の夏后氏文化の中心なのか、族譜の研究が新しい課題になっています。
 1954年の大洪水で発見された湖北省の盤竜城遺跡は、紀元前1600~1300年頃の遺跡で、殷王朝の前半期に当たり、その宮殿の構造、出土した青銅器や玉器などが中原文化と合致し、河南省鄭州の同時代殷代都市遺跡に引けを取らないところから、長江流域まで殷王朝の勢力が浸透していたことを示す貴重な発見となりました。
 最近の考古学界の一大ニュースと言えば、三星堆での新たな発見でしょう。2019年11月~2020年5月にかけ、四川省広漢の三星堆遺跡で新たに6つの祭祀坑が発見され、500件以上の金・青銅・玉や100本以上の象牙などによる精巧な出土物が収集されました。同遺跡は12平方キロに渡り、夏殷時代の四川盆地最大の遺跡です。1986年の発掘で内外の耳目を集めましたが、今回の発掘による出土品には養蚕に関係する文様が彫り込まれており、絹織物の残滓も発見されました。また、二里頭出土と酷似した銅鈴なども発見され、様々な巨大な青銅器と共に、青銅器製造技術の中原からの伝播と発達を裏付けています。

次回は8月19日更新予定 テーマは<観光消費の変化>です。

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